万葉の里イメージ

神話の故郷鳥取。古事記や日本書紀の舞台として数々の史跡が残り、日本の歴史に於いても有数の価値のある地域といえます。古事記や日本書紀にとどまらず、鳥取市国府町は万葉集の編纂者のひとり大伴家持の活躍した場所です。家持はこの地で万葉集締めの詩を詠み、その後の生涯で再び詩を詠むことは無かったといいます。今回のADVENTUR(アドベンチャー)は、その万葉の里・国府町の知られざる魅力をご紹介します。今回は同行しました記者Aの率直な感想とともにお楽しみください。

●同行記者A取材談●

レジャー施設の少ない鳥取。あまり遊ぶ場所は無いけれど、史跡は割とたくさんある。まあ因幡の国というだけのことはあって、古事記や日本書紀の舞台があり、やたらと神社がいっぱいあるのは知っていたが、国府町が万葉集にゆかりのある土地ということは最近知った。いまどきの人間は自分の生まれた場所の歴史についてもこんなものだ。この際いい機会だからいろいろ観てみようと思う。

主な目的地

@因幡万葉歴史館

A宇部神社

B池田家墓所

C伊福吉部徳足比売墓所

D因幡国庁跡

E今木神社

F岡益の石堂

G梶山古墳

 
国府町MAPイメージ
いなばまんようれきしかん

○因幡万葉歴史館○

因幡万葉歴史館イメージ

まず、国府町のことを詳しく学ぶために、「因幡万葉歴史館」を見学しましょう。この施設では国府町のそして鳥取の文化や歴史を大掴みに理解することができます。見学しておくと、この先の行程をより楽しむことができるでしょう。入場料は一般が500円、小・中・高校生は無料となっています。因幡万葉歴史館では、クイズやハイビジョンシアターを楽しむこともでき、時の塔では甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま)、稲葉山(いなばやま)を一望できます。

●同行記者A取材談●

以前からその存在は知っていた因幡万葉歴史館だが、「ここいったい何?」としか思ったことがなく、入ってみるのは今回が初めて。入り口と書かれた立て札を辿って入り口を発見!一般500円と書かれている。県立博物館が一般180円だと考えるとちょっと高いかなぁ…。多少躊躇しながらも入館。閉館前ということもあり館内に客は私一人で貸切状態。それなりに楽しんで外へ。やっぱりちょっと高いかなぁ。300円くらいなら…う〜ん(汗)。値段と内容が伴っていないという訳ではないのだが、こういう施設は多くの人に来てもらって意味のあるものだと思うので、もう少し興味をもったひとが躊躇無く入れる料金であってほしい。施設の建設費や維持費の都合上仕方ないのかも知れないが…。


うべじんじゃ

○宇部神社○宇部神社イメージ1

鳥取で初詣といえばここという人も多い、因幡の国の一ノ宮宇部神社。この神社は360歳まで生きたとされる武内宿禰(たけのうちのすくね)を祭神とし、東方稲葉山の一角の上に鎮座します。武内宿禰は大和朝廷初期の天皇に仕え、国政を補佐した中央諸豪族の祖とされる人物ですが、この人物については諸説様々があり、その詳細は解明されていません。詳しくは別の機会に触れたいところです。本殿の後の丘は亀金と呼ばれ、石段を登った先に宿禰草履の跡と伝えられる、祭神御昇天の霊石があります。近年の調査でこの丘から鏡や玉などが出土し、円墳であることが証明されました。また、鳥取藩の歴代藩主に崇敬された宇部神社の大名行列、獅子舞は有名で、獅子舞は昭和30年に県の無形民族文化財に指定されています。

鳥居イメージ 拝殿イメージ
鳥居(写真上)と拝殿(写真右)。
さすがともいえる雅な造りでお金
かかっています。
丘イメージ
霊石イメージ
亀金(写真左)と霊石(写真上)。亀金は円墳で、そこから見下ろす宇部神社の姿も魅力的です。

●同行記者A取材談●

初めて宇部神社を訪れたのは、たしか小学校の遠足だったと思う。300歳以上生きた神様(?)がいて、昔のお札にも描かれているというのが印象深く記憶に残っている。それ以降は初詣で何度か来たことがあるが、ここは毎年参拝客が多いので近年は倉田八幡宮に行っている。二礼二拍一礼の作法の説明書きがあり、親切でよい神社だと思うのだが、菊の紋の入った社殿はどうも好ましくない。かつて、記紀によって天皇を神格化した「中臣神道」の気配がして、神道(古神道)の道から外れているように思えるからだ。個人的には神道とか仏教とか天皇は切り離して考えたい。

一円札

いけだけぼしょ

○池田家墓所○

池田墓所イメージ

鳥取池田家初代・光仲から十一代までを葬るのが池田家墓所。墓碑や台座に亀趺(きふ)を使用するなど、儒教色の強い墓となっています。墓所にはサクラ、カエデなどが植えられており、春の花、夏の緑、秋の紅葉の眺めも見所となっています。昭和56年に国の史跡に指定されています。

池田墓所イメージ2 池田墓所イメージ3 池田墓所イメージ4
池田墓所は、お墓というより庭園といった雰囲気で四季を通じてとても美しい景観を魅せてくれます。

●同行記者A取材談●

ここも宇部神社同様小学校の遠足で来たのが最初。あとは、夜中、何度か来たことがある。確かその遠足のとき、墓所に落ちていた瓦の破片を家に持ち帰り、夜中にうなされた覚えがある。あれは祟りか何かの類なのだろうか…。歴代藩主が若くして亡くなっていることに驚かされるが、暗殺を思い浮かべるのは僕だけだろうか…。


いふきべとこたりひめぼしょ

○伊福吉部徳足比売墓所○伊福吉部イメージ1

看板が小さく入り口がわかりにくいので、宮ノ下小学校(写真上)を目印にするのがよいと思います。小学校の側道から無量光寺まで登り、お寺の正面から左に脇道を通って登山道へ入ります。この伊福吉部徳足比売墓所は、因幡の国の貴族の娘で天武天皇(てんむてんのう)に仕えた采女(うねめ)の墓で、和銅元年(708)7月に亡くなり、火葬にされ銅製の骨蔵器に入れられて郷里に葬られました。その際、骨蔵器に葬られた人物のことやこの墓を壊すことがないようにと文字が108文字記されていました。このように葬られた人物がわかる骨蔵器が発見された例は、全国でも十数例しかない極めて貴重なもので、国の重要文化財に指定され現在現物は国立博物館に所蔵されています。因幡万葉歴史館ではこの骨蔵器のレプリカを観ることができます。

無量光寺イメージ 登山道イメージ 山道イメージ
無量光寺正面。階段を上りお寺の門前を左へ。
お墓の脇道から登山道へ。ここから200Mほど先が目的地。
なかなかの山道です。詳しくは現地でお楽しみください。

●同行記者A取材談●

とりあえず読むのに一苦労。無量光寺(むりょうこうじ)の墓地を通り抜け、なんとか道らしい道を登り、落ち葉の降り積もった斜面を登る。蜘蛛の巣に阻まれながらも、途中石塔の一部らしきものが無造作に置かれた山道を登ること10数分、ようやく到着。けっこう汗をかいてしまいました。こういうあまり知られていそうもない所に来ると、冒険気分でけっこう楽しい。この墓所を観てそれほど感動するようなことは無いが(それを言っちゃあ意味が無い?)、1200年前の国府町がいかようだったかを少し知れたような気がして感慨深い。まぁ、一生に一度くらいは来ておいても…。

目的地イメージ墓跡イメージ
伊福吉部徳足比売墓所(右写真上下)。墓所は天蓋で保護され、墓石(?)には骨蔵器が安置されていたと思われる窪みを確認できる。

いなばこくちょうあと

○因幡国庁跡○

因幡国庁跡

国府町中郷などの集落にある奈良時代から平安時代にかけての集落跡で、国守として赴任中の大伴家持が万葉集の最後を飾る「新しき 年の始めの初春の 今日降る雪の いや重け吉事」の歌を詠んだのがこの地です。家持はこの歌を最後にその後の生涯新しい歌を詠むことは無かったといいます。この地は国の史跡に指定されており、近くには大伴家持の歌碑、因幡国分寺跡もあります。併せて訪れてみるとよいでしょう。

大伴家持歌碑イメージ 国分寺跡イメージ  
大伴家持の歌碑
因幡国分寺跡
 

●同行記者A取材談●

現在は史跡公園となっていて、公園内にはかつての建物の様子を示す木柱、石柱が並んでいる。これを観てどうということは無いが、かつて大伴家持がここに生きていたと思えば、太古のロマンというやつを感じられるというもの。ここで風に吹かれていると、改めて古事記、日本書紀、万葉集という書物と鳥取の関わりを実感できるような気がして、鳥取を見直すいい機会になるはず…たぶん。


いまきじんじゃ

○今木神社○

今木神社イメージ

菅原道真を祭神とする天満宮系神社。神社はともかく、「刻石」が有名。刻石の文字は以前はシナイ文字(※1)と言われていたが、最近の研究で日本最古の漢字と刻画が画かれていると考えられている。漢字は日本最古(紀元前)で虎・鳥・八、刻画は女カ・伏義(※2)が画かれ、古代中国文明の漢字文化の影響を受けているとされる。

※1…紀元前2千年紀にシリア周辺で使用されていた文字
※2…中国の神様で人類創造の女神・男神、夫婦であり兄弟

路地イメージ1

●同行記者A取材談●

車で狭い路地に入ったのが運の尽き。バックで戻る羽目になり苦労した。訪れる際は気をつけましょう。今木神社は、この細い路地の集落を抜けた今木山の山中にあります。

路地3 路地2 路地4
路地の道幅は車一台通るのがやっと。入れますが、普通車で通り抜けるのはまず無理です。車でお越しの際は近くの広い農道脇にでも駐車しください。
参道入り口イメージ 参道イメージ 社殿イメージ
参道は苔生した石段で秘境の雰囲気が漂っています。写真ではきちんと手入れされていますが、夏場は草が生い茂っていて滑りやすいのでご注意ください。

一見他人の家の敷地とも思える路地を入り、民家の横をすり抜けて参道へ。蛇が出るんじゃないかとビクビクしながら神社に着くと、社殿の脇によく分からない石が一つ。なんでも日本最古の漢字が書かれているらしい。そんな物凄いものがこんな無造作に…。まさに秘境(?)…。盗まれたらどうするんだ…(^_^;)

刻石イメージ
今木神社の刻石(写真右)。写真ではわかりづらいので現地で確認してください。

おかますのいしどう

○岡益の石堂○

岡益の石堂1イメージ

岡益の石堂(おかますのいしどう)は安徳天皇御陵参考地とされ、通称「石堂の森」と称される丘陵地にあります。この石堂は約6メートル四方の基壇の上に総高約2メートルの石塔と、それを囲むように設けられた石障によって構成されています。石塔の構造は円柱とその上に置かれた中台からなり、円柱に施されたエンタシスと中台の裏側のパルメット(忍冬唐草文)の彫刻は、はるかギリシャからシルクロードを経て伝わってきたものだということです。また、「石堂の森」には古墳や石仏が数多くあり、平成7年の調査では岡益廃寺の存在が確認されました。

岡益の石堂入り口イメージ 石堂3イメージ
石堂2イメージ
石堂の森入り口(写真上)と岡益の石堂(写真下と写真右)。周辺はきれいに整備されており、点在する古墳や石仏、岡益廃寺など見所も多い。

●同行記者A取材談●

何度か車で通りかかったことはあったのだが、訪れたのは今回が初めて。大き目の駐車場や公園などがあり、休日に来られる方も多いのではないだろうか。石堂は立派でかなり大きいが、柵があり近くでみることができないのが残念です。石堂側には、宮内庁の掲げた立て札があり、思わず「おぉっ」っと思わずにはいられませんでした。森の奥の岡益廃寺跡へは巨大なスズメバチに道を阻まれ見学を断念!皆さんも気をつけましょう。丘の道を辿って散策したところ古墳や石仏などがあり、観光しながらのよい運動になりました。近くの長通寺境内には、志賀直哉さんと岡田美子さんが岡益の石堂を見学した際の記念碑もあります。

岡益の森3イメージ 石仏イメージ 薬イメージ
緑に包まれた石堂の森。美しい森に点在する石仏や古墳などが不思議な雰囲気を醸し出す。

かじやまこふん

○梶山古墳○

梶山古墳全体イメージ

梶山丘陵にある12基あまりの梶山古墳群の中心的古墳で7世紀中頃(古墳時代後期)の築造と推定される。石室は奥行き8.8メートル、幅1.4メートル、高さ2.1メートルで玄室、玄門、前室、羨道(せんどう)からなる。昭和53年に壁画が発見され、玄室奥壁の上半分には魚文を中心に曲線文、同心円文、三角文、円文などが赤黄色の顔料で描かれている。現在石室は壁画保護のため閉塞され年1回公開されているが、因幡万葉歴史館でレプリカを観ることができる。また、平成4年以降の発掘調査によって、墳丘の形状が変形八角形、前面に石垣で囲まれた方形壇を有するなど、特異な形状を持つ古墳であることが判明した。

梶山古墳イメージ
石垣イメージ

●同行記者A取材談●

現在見られる方形壇は復元されたもので、実物はその下に保存されているらしいのだが、その特異な形状は一見してすぐにわかる。古墳には円墳、方墳、四隅突出型古墳、前方後円墳などがあるが、このような形の古墳は稀だろう。丘陵地に造られた都合上このような形状になったのか、何か意味があってのことなのか謎だ。ところでこの梶山古墳、ものが古墳ということで太古のロマンがひしひしと感じられるのだが、石室を閉じているのが鉄の扉で、これがせっかくの姿を台無しにしているように思えた。せめてもう少し素材をどうにかすればいいのに…勿体ない。古墳周辺はきれいに整備されていて、石室の前方のスペースやつづら状の石垣など、今まで知っていた古墳のイメージとは違った印象をあたえてくれる。なかなか面白いのだが、やはり中が観てみたいところ…。それにしても山陰地方には、現在見つかっているものと、未だ発見されていないものを合わせて、いくつぐらいの古墳があるのだろうか…。実際、古墳だらけのような気がするのだが…。

石室前イメージ
つづら折りの石垣(写真上)と石室前(写真下)。石垣は崩壊を防ぐためこのような造りがなされたとされ、石室の前はステージのようになっており、祭祀がとり行なわれていたと推測される。

あ と が き

今回の特集、「万葉の里・国府町」は、いかがでしたでしょうか?県外の有名な観光地は数ありますが、故郷のこうした史跡をその目で見て、その足で歩き、その肌で感じ、改めてそのすばらしさを確認することは、例えば世界遺産を見るのにも匹敵する満足度があるといっても過言ではないと私には思えます。この「万葉の里・国府町」を読んでいただいた皆様が、これをきっかけにこれらの史跡に足を運んで頂ければ本当に嬉しく思える次第です。

THANK'S

今回の記事については鳥取県文化観光辞典を参考資料として使用させていただいております。

DREAMER編集部

 

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