八重垣神社タイトル画像
今回は鳥取を出て記紀神話の出雲国(島根県)まで足を延ばし、素盞鳴尊と稲田姫命を祀る八重垣神社と大国主命を祀る出雲大社に行ってきました。え!ドリーマーとっとりって鳥取の情報サイトじゃないのって?いいんです、ドリーマーは細かいことは気にしません。鳥取から遊びに行ける場所なら、それも鳥取の魅力として捉えても全然いいではないですか…強引?(^_^;)

国道9号線を米子方面から松江に入り、出雲方面へ八重垣神社の看板を探していたところ、出雲への看板を発見。まずい、このままだと出雲に行ってしまう…。どこかで見落としたかな?っと、道を歩いていたお姉さんに、「すいません、八重垣神社はどっちですか?」と尋ねると、目の前の路地を左に入って、4つ目の信号を左だという。さすがは地元の人、信号の数までわかるとは!言われたとおりに道を走ると、信号など無くひたすら農道が続く。「ほんまかいな…」と疑いつつ、ひたすら前進すると、一つ目の信号。八重垣神社の気配はない…。更に前進、二つ目の信号、更に前進。民家を抜ける途中に小さな看板が…。八重垣神社の文字。おおぉっ!ほんまだった!そして4つ目の信号、ポプラのある交差点を左へ。八重垣神社の幟(のぼり)が…。しばらく走ったところにありました、八重垣神社。お姉さん、疑ったりしてごめんね、あったよ、ありがとう。八重垣神社MAP

八重垣神社は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治で名高い素盞鳴尊と国の乙女の花とうたわれた稲田姫命との結婚物語の神話に最もゆかりの深い神社です。この素盞鳴尊と稲田姫命は、鳥取でもお馴染みの大国主命の親神様(ご先祖様)でもあることは、みなさんもよくご存知のところでしょう。
八重垣神社の創立は遠く太古で、素盞鳴尊が八岐大蛇を退治した後に須賀の里より更に姫命の避難地であった佐草の現在地を八重垣の宮とされ御夫婦生活を始められたことによります。これにより、縁結び、夫婦和楽、家内安全、子孫繁栄、災難除、厄難除、悪霊退除の大神とされ、また和歌の祖神、国家鎮護の守護神としても太古から崇敬されています。

 

しゃでん・けいだい

社殿・境内

神社そのものは、通常の神社よりやや規模が大きい程度で、有名な神社の割りにあまり仰々しい雰囲気ではありません。親しみやすいとでもいうのか、日の光が良く当たり明るい印象です。苔生した神社もいいですが、こういうよく手入れされた神社の姿はまた違って、なんだか神聖さと庶民性を感じます。それもそのはず、最近修復されたようでよく見ると鳥居や隋神門など真新しさが残っています。私が訪ねたときは、参拝している人に若い女性が多く、さすが縁結びだなと思わさせましたが、出雲大社と比べて年齢層が圧倒的に若く驚きました。ちなみに若い男性はいませんでした。

 

スサノオの命像 稲田姫像

明神鳥居をくぐると隋神門に素盞鳴尊と稲田姫命の像が左右に置かれています。稲田姫命はともかく、荒ぶる神で知られる素盞鳴尊がこんな好青年だったかはいささか疑問です。もっと豪傑といったイメージなのですが…。

 

狛犬左 狛犬右

隋神門後ろには狛犬。犬というよりなんだか顔が鳥のようなカルラ天のような雰囲気ですが、全国に二個しかない貴重な物ということです。かなり痛みが激しく古さを感じます。

 

八重垣神社拝殿

参拝して境内を観て回ると、いくつか分詞なるものがあります。そのひとつに山神神社なる神社あるのですが、ちょっとびっくり。社の脇に巨大な木彫りの男根が…。周りに若い女性が歩いているうえに男は私だけだったため、こっちが照れてしまいました。ちなみに八重垣神社の関連サイトでは、ことごとくこの山神神社のことには触れてませんでしたが、男性が私のようにいたたまれない気持ちにならないように、ここはあえて触れておきましょう。まぁ、面白いし…。

山神神社 分詞
山神神社の脇には巨大な男根が…。昔の写真には大小様々なのがもっとたくさん写っていました。
境内にはいくつかの分詞があります。かつて近隣にあった神社が合祀されたものでしょうか。

 

ほうもつしゅうぞうこ

宝物収蔵庫

さて、本殿正面より左側には宝物収蔵庫があり、ここには国の重要文化財で今回訪れた最大の目的、日本最古の神社の障壁画ともいわれる、素盞鳴尊、稲田姫命、天照大神などが画かれた壁画が保存されています。社務所に200円を納め、八重垣神社御由緒なるしおりを頂き宝物収蔵庫の中へ。残念ながら写真の許可は頂けませんでした。料金を取っているせいなんでしょうが、こういう物は実際の目で見て価値のあるものなのですから、写真を撮ることで壁画を見る人がいなくなるわけではないと思うので、撮影くらいはいいと思うのですがねぇ。ということでここの詳細な説明は避けます。興味のある方は現地でしっかり見学してください。

 

さくさめのもり

佐久佐女の森

佐久佐女の森いよいよ佐久佐女の森へ。この森は稲田姫命が八岐大蛇を避けるため避難した場所で、この森の大杉を中心に周囲に八重垣を造って難を避けたとされます。八重垣神社の名前の由縁ですね。森には老木巨木が多数あり、少し伊勢神宮にも似た神々しい雰囲気に包まれています。この佐久佐女の森には鏡の池があり、縁結びの占いの池とされています。池に硬貨を乗せた紙片を浮かべ、早く沈めば良縁が早く、遅く沈めば縁が遅いとされています。この神社に若い女性が多い理由はまさにこれでしょう。独身女性と思われる人たちがみんなこの占いをしていました。私も独身ですので、写真撮影用に試してみようかとも思ったのですが、女性に混じって占う勇気はなく、やめておきました。男がやってたら若干、「キモォ〜イ!」とか思われるかも知れません。勇気のある方はどうぞ…。

 

○予備知識 須佐之男命(素盞鳴尊)の八俣遠呂知(八岐大蛇)退治○

高天原を追放された須佐之男命(素盞鳴尊:スサノオノミコト)は、出雲の肥の河の河上、鳥髪というところに下った。すると上流から箸が流れてきたのを目にとめ、「箸が流れてくるということは、川上に人が住んでいるに違いない」と川をさかのぼると、老夫婦が美しい娘を中にして泣いている。どうしたのか尋ねると、老夫婦は国神大山津見神(くにつかみおおやまつみのかみ)の子、足名椎・手名椎(脚摩乳・手摩乳:あしなづち・てなづち)と名乗り、「この地の向こうに絶えず雲のかかった山がございます。その山には八俣遠呂知(八岐大蛇:ヤマタノオロチ)という目がホオズキのように赤く燃え、一つの身体に八つの頭と尾を持ち、八つの山に跨るほどの大蛇がおりまして、毎年やってきては娘を一人ずつ食べてしまうのです。今年はこの娘、櫛名田姫(くしなだひめ:稲田姫命)を食べられてしまうと思うと悲しくて泣けてくるのです」と答えた。これを聞いた須佐之男命は、櫛名田姫を佐草の郷、佐久佐女の森に八重垣を造って隠し、さらに八つの門を造り、それぞれに酒を満たした樽を置き、隠れて八俣遠呂知を待ち構えた。やがて恐ろしい地鳴りとともに現れた八俣遠呂知は、娘がいないのを見て怒り狂うが、酒樽を見つけると八つの門から八つの頭で酒を飲み始めた。やがて八俣遠呂知が酔い潰れると、須佐之男命は十拳剣(とつかのつるぎ)で八俣遠呂知の首を跳ね、身体を切り刻むと大蛇の尾から一本の太刀が出てきた。須佐之男命は「大蛇の住んでいた山にいつも雲がかかっていたのはこの太刀のせいだろう」と、太刀を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と名づけ、天照大御神に献上した。
この剣は後の天孫降臨(てんそんこうりん)のとき、八尺鏡(やたのかがみ)・八尺勾玉(やさかのまがたま)とともに地上に降ろされ、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のとき携えたが、焼津で火攻めにあったとき腰からひとりでに抜け炎に包まれた草を薙ぎ払ったことから、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになった。現在は八尺鏡・八尺勾玉とともに日本の神宝・王権のシンボルとされ、三種の神器として天皇の皇位継承に用いられている。

あとがき

八雲立つ 出雲八重垣妻込めに 八重垣造る その八重垣を

意味:出雲に新居を建てたら、雲が幾重にも重なって垣根のようだ

この歌は素盞鳴尊が妻をめとった喜びを歌ってるとのことです。どう解釈すれば、そうなるのかは解りませんが…。素盞鳴尊(天つ神)と稲田姫命(国つ神)は、稲田姫命の御両親である脚摩乳・手摩乳に結婚の承諾をもらい、正式結婚の初めの夫婦として縁結びの大祖神様となられました。素盞鳴尊と稲田姫命という神話界のスーパースターが御祭神ということもあり、私の満足度も高く、はるばるやって来た甲斐があったというものです。最後に社務所に寄り、お守りと名刺入れを買って神社を後にしました。八重垣神社は鳥取市の方には若干遠くなりますが、米子に立ち寄ったついでにでも足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。若い女性が多いからといって、くれぐれもナンパには行かないように!でも、縁結びの神社だから、神様も大目に見てくださるかな???

ドリーマー編集部

 

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